「椎名林檎の生い立ちって壮絶なの?」
林檎さんの生い立ちは、生まれた時からかなりの壮絶さがあります!
では、具体的に椎名さんにはどのような生い立ちがあるのでしょうか?
ということで今回は、椎名林檎の生い立ちや卒アル画像、本名などをそれぞれ紹介します。
目次
椎名林檎の生い立ち
椎名さんの生い立ちは、以下をご覧下さい。
- 椎名林檎の出生秘話…生まれてすぐに難病で2日間の手術をしていた
- 幼少期は自分の声が嫌いで、コンプレックを抱く日々
- 音楽との出会いは、4歳のときに習い始めたクラッシックピアノ
- 学生時代から既に、ボーカルや様々な楽器の演奏に携わる
- グループ活動ではなく、ソロ活動で人気が急上昇する
非常に、びっくりする生い立ちですねΣ(゚Д゚)
それぞれ具体的に説明します。
椎名林檎の出生秘話
椎名さんは、生まれてすぐに先天性食道閉鎖症という難病にかかり、東京都新宿区の慶応大学病院手術されました。
手術は、なんと2日間もかかっています!
ちなみに、先天性食道閉鎖症とは、どのような病気なのでしょうか?
この病気は、食道と胃が繋がっていない病気です!
なので、母乳やミルクなどを飲むことが出来ないのです( ゚д゚)
5000人に1人の割合で、起こる病気ともいわれています。
現在の椎名さんからは、想像がつきませんが、生まれた時からしんどい時期があったのです。
では、次に椎名さんの声のコンプレックスを解説します。
椎名林檎の幼少期の声に関するコンプレックス
椎名さんは、幼少期からガラガラとした男のような低い声でした。
なので、母親からは「あなたは声が悪いから、絶対声に気を遣わないように」と言われたのです。
それを聞いた椎名さんは「私は声が悪いんだ…」と落ち込んでしまいました。
その後は、自分の声によって周りの人に悪影響を与えないようにと、意識しすぎて寡黙な学生生活を送りました。
しかし、寡黙だった椎名さんが音楽によって、変わることが出来るきっかけがありました。
次に、椎名さんと音楽との出会いを解説します。
椎名林檎と音楽との出会い
椎名さんは、4歳から10年間クラシックピアノとバレーをやっていました。
その影響から、ピアノやバレーに関する歌以外は全く興味が無かったのです!
日本の音楽だけでなく、洋楽もよく聴いています。
中学時代には、福岡の音楽教室に通ったり、ジブリやヒップホップなどの音楽にはまったりしています。
その影響から、中学生で友人とバンドを組んでいます。
驚いたのは、学内だけでも凄いのに、学外でもバンドを組んで活動していたことです。
学園祭でのライブ活動やクラブハウスでのライブなども行っていました。
更には、20種類以上の楽器のパートも務めています。
また、高校時代に入部した軽音楽部では自分で楽曲を作っています(゚д゚)
高校生で、楽器が演奏できて、歌も歌えて、更には作曲も出来る女性は中々いませんよね!?
では、最後に椎名さんの転機となったソロ活動を解説します。
グループ活動よりもソロ活動で注目を集める
椎名さんは、高校2年生の時「第9回 TEEN’S MUSIC FESTIVAL」に出場され、福岡地区大会で1位になりました!
当時、椎名さんは、「Marvelous Marble」というバンドグループで出場されました。
椎名さんのパートは、ボーカル兼ギタリストです。
そして、全国大会に出場した椎名さんは最終結果で、奨励賞になりました。
ちなみに、大会でグランプリ(ティーンズ大賞・文部大臣奨励賞)を受賞された人物は、aikoさんです(゚д゚)!
後に、椎名さんもaikoさんも有名なトップアーティストになりましたが、まさか椎名さんとaikoさんがこの大会で一緒だったとは驚きですよね!
椎名さんは、当時aikoさんとの出会いを「一生忘れません」と言っています。
その後、椎名さんは高校2年生の3学期に高校を中退されています。
あと、1年いれば卒業できたのに、なんで急に辞めたのでしょうか?
それは、大会でのグランプリを獲得出来なかった悔しさとaikoさんとの出会いが大きかったのだと思います。
あとは、高校の授業よりも音楽が大好きだったのでしょう。
高校中退後の翌年1996年に「The 5th MUSIC QUEST JAPAN」大会に出場された時のことです。
その時、大会関係者に「グループよりもソロで歌ってみませんか?」とソロ転向を提案されたのです!
そして、「MUSIC QUEST JAPAN FINAL」の決勝戦では椎名林檎としてソロで「ここでキスして。」を披露しました。
すると、かなりの高評価となり、優秀賞を受賞したのです(^^)
この時には、aikoさんも優勝賞を受賞されたので、きっと嬉しかったと思います。
ちなみに、椎名さんは福岡地区大会の段階で既に何社かのレーベルからスカウトの声がかかっていたのです。
椎名さんの歌手としての才能を素早くみていた人たちはやはりいたのですね(゚∀゚)
椎名さんは、最終的に東芝EMI(※現在はユニバーサルミュージック)レーベルに所属されて、現在に至っています。
椎名さんを見ると、初めから苦労することなく歌手になったのかなと感じていましたが、様々な苦労をされていたことに驚きました!
では最後に、椎名さんの卒アル画像や本名を紹介します。
椎名林檎の卒アル画像や意外過ぎる本名とは?
まずは、卒アル画像をご覧下さい。
出典:https://rr.img.naver.jp
出典:https://pbs.twimg.com
あれ?昔は、ちょっと顔つきが違いますね!
今よりも目が細く、一重のような感じがしますΣ(゚Д゚)
学生時代は、田舎のお嬢ちゃんというイメージだったのです。
本名は、椎名裕美子さんとありますが、椎名林檎の芸名の方が似合いますね!
それと、現在の顔と比較してみても、別人ですね(゚д゚)!
もしかしたら、目頭切開に関する整形手術をして、目が大きくなったのでしょうか?
まぁ、整形したとしても学生時代と比べると、かなり美人になってると感じます(^o^)
もしも、椎名さんが整形している場合は、また別の記事で説明していきます。
今後も、椎名さんのアーティスト活動を応援しております。
椎名林檎の生い立ちや卒アル画像まとめ
- 椎名林檎の生い立ちは、生まれた直後から壮絶なものだった!
- 椎名林檎の卒アル画像は、現在と比べて特に瞳が小さい一重に感じた!
- 椎名林檎の本名は、椎名裕美子だが芸名の椎名林檎の方が似合っていた!
など分かりました。
椎名さんの生い立ちを調べると、あんな元気でたくましい姿からは想像できないほど、大変な苦労があったことに驚きました。
今後も椎名さんの新たな情報が入りましたら、追記します。